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「すごいチーム」を読んで感じたこと

はじめに
営業やSIの部門でチームリーダやグループリーダをしてきた。出向先のグループ会社では取締役も経験させてもらった。個人的には、直接部下と一緒に仕事をするという実感を得られるチームリーダの時代が一番充実していたように感じる。

2枚のピザ理論
これはすでに書いたが、アマゾンでは創業者のジェフリー・プレストン・ベゾスが提唱する理論だ。つまり、チームメンバーの数は、2枚のピザで満足する程度の人数にすべきというもの。一人のリーダがミッションを遂行する上で、メンバーの一人一人に目を配り、能力を最大限に発揮してもらう人数を説いたものだ。

最適メンバー数は七人
アマゾンKindle Unlimitedでたまたま面白そうだとクリックしたのが、「すごいチーム」だ。この中で著者の富永さんはズバリ7名(リーダを含む)がベストだという。これはまさに自分がSEのグループリーダだった時の構成だ。2名の直属の部下はチームリーダとして、チームメンバーをそれぞれ2名配した。それぞれ個人的な能力は自分以上だけど、この2名のチームリーダを競わせることでインセンティブを高め、さらにこの2名をハンドルすることで自らの目線を高めることができた。部長との折衝は自分の仕事だった。自分もメンバーもやりがいを感じる良い関係だったと思う。
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メンバー数は奇数が良い
この著者はメンバー数は7名がベストだが、そうでない場合にも奇数が良いという。ただ、これはケースバイケースかなあという気がする。電波調査や電波対策の業務を担当した時には、初年度は0.5人数分程度の業務だったが、毎年業務量が倍々ゲームで増えていった。7年後には40名程度の規模になった。その時にも、ミッションをできるだけ大きく分けて、直属のメンバーのミッションを明確にするように心がけた。人にもよるかもしれないが、自分は、自分のミッションが細切れだったり、よくわからないとインセンティブが低下する。共同のミッションなら快く譲る(笑)。

不況期は人材採用にベスト
自分がチームリーダだった時には、その配下を調査班とか、対策班とか、CS班とかに分けた。各班長には業務量に応じてメンバーをつけたが、この頃からいわゆる正社員の割り当てが厳しく、派遣社員さんや委託社員さんに業務をお願いすることが増えた気がする。当時はリーマンショックで都銀の正社員だった人など通常だと採用できないような優秀な派遣社員さんと一緒に仕事をできたことは本当にラッキーだった。起業するなら不景気の時がベストと聞くが、人材面ではまさにその通りだと実感した。

日本語力か総合力か
沖縄に赴任した後に聞いた話だが、在沖米軍の出身者を採用することになった。しかし、雇用の条件が与えられていて、「非常に優秀だけど日本語ができない人」と、「能力は普通だけど日本語も英語もできる人」が候補になった。日本語ができないと困るけど、メンバーに聞くと、「いいんじゃない」となる。皆すごい!結局、グリーンベレー出身の超優秀な人を採用することになった。この決断の良った点は、在日米軍との交渉力が格段に上がったことと、社員の英語力が上がったことだ。だって、チームミーティングが英語なんだもの(涙)。

香港でのプロパー採用
香港では営業的な仕事やSE的な仕事や現地事務所の仕事などを同時に処理する必要があった。ISPの立ち上げもあった。データセンターの立ち上げもあった。当時IT要員の人件費が高騰しつつあった。日本人と違って、面接では誰もが自信満々に自らをアピールする。その中でもマレーシア在住の長い若いSEを採用した。彼は日本語も中国語も広東語もでき、技術面の素養もある。今も香港にいて、時々研修で日本にもくる。結婚して、彼そっくりの息子もいる。また、機会があれば、久しぶりに飲んで、最近の状況を聞きたいところだ。

まとめ
会社員としては、本社のリーダや管理職、グループ会社の取締役を経験させてもらった。順風満帆な会社人生でもなかったけど、まあ良しとしよう。55歳の役職定年、60歳の定年を経て、現在は嘱託として再雇用で慣れない仕事にチャレンジする日々だ。本当は、会社に勤めながら、技術士事務所を立ち上げる「二足のわらじ」に移行したいけど、現在の会社は副業をまだ認めてくれていない。どうしたものだろう。すぐに会社を辞めることは難しい。ベストの選択肢は、会社が副業を解禁してくれること。MBAコースにもチャレンジするが、卒業する2年後には解禁になっているだろうか。もし、その時点でも、解禁していない場合には、難しい選択をすることになる。まあ、それまでは自らの能力を高めることに尽力しよう。

以上