LuckyOceanのブログ

新米技術士の成長ブログ

初めての海外出張=ポルトガル

はじめに
「4月から多分あまり来なくなるよ」。いつも愛用しているスタバで馴染みのKさんにいうと、「え!」と驚いてくれた。なぜですかと聞くので、夜の学校に通いますと返す。ただ、どうも夜の学校というとイメージが変かもしれない。大学に通いますと言い換えると、何か資格取るのですかと聞くので、MBAを取ろうかと思っていると話をするが、MBAがよく分からないようだった(笑)。Kさんは大学生なので、専攻は何かを聞くとポルトガル語専攻だという。へえ!すごい!

初めての海外旅行
会社に入ってから初めて海外に旅行した。当時の上司がミヤンマーへの海外出張から帰ってきて、「君も若いうちに海外を旅行して見聞を広めないとダメだよ」と酒を飲みながら説教してくれた。その時は、「そうですね」と軽く流した。実は、その頃は御茶ノ水アテネフランセに通っていて、そこの学(悪)友たちが夏にフランス旅行するということで誘われていた。色々ラッキーな事情もあり、最終的には1ヶ月の旅行を企画した。説教した上司は「ノー」とは言えず、エールを送ってくれた。行きと帰りのフライトと、最初のロンドンと最後のパリの宿泊以外は全てフリーだ。いわゆる「地球の歩き方」をバイブルにして大いに見聞を広めた。

初めての海外出張
海外へのアレルギーはないけど、海外出張の機会が突然やってきた。当時の衛星通信は、大西洋とインド洋と太平洋の上空にあり、それぞれをAOR、IOR、PORと呼んでいた。日本から見えるのはPORとIORだ。それぞれの海洋ごとに運用者会議が定期的に行われていた。PORやIORには役員レベルが代表として参加し、専門家もスタッフとして同行する。一方、AORは当時の部長が一人で参加することが多かったが、部長の都合が悪くて、課長に回って、課長の都合も悪くてどうしようかと言う時に、なぜか白羽の矢が当たった。

衛星通信専門家運用者会議
自分は衛星の専門家ではない。しかし、行けと言われれば拒否権はない。これも経験だ。何もないからと周りの人は言うが、不安しかない。だって、前回や前々回の資料を見ても、全て英語だ。しかも、その単語はおろか、意味することが分からない。どれだけ無茶振りだと思いながら、仕方ないので覚悟を決めて猛勉強した。そのおかげで衛星通信に関しては少しばかりの知識はある。ただし、数十年前の知識なので古い。古すぎる。

ポルトガルのアルブフェイラ
Wikiで調べると人口4万人程度の自治体だった。1250年にポルトガル王アフォンソ3世がアルブフェイラを占領する前はイスラムの土地だったようだ。海岸が綺麗だし、街並みが素晴らしい。1960年以降に観光地として注目を集める。現在は英国からの旅行者が多いようだ。実際、ここに出張するときも、ロンドン経由でのフライトだった。
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 出典:http://fotokoy.blog.fc2.com/blog-entry-474.html

ゲルマンとラテンの戦い
このAORには、欧米のなだたる通信事業者が集まっていた。会議の前日に晩餐会があり、優雅なレディに挨拶する機会があった。彼女はMrs.シーモアだと自己紹介する。自分は日本から来たと紹介する。でも、Mr.シーモアなんて知らないと言う顔をすると、なんだこの小僧はと言う顔をされた。翌日、会議が始まったら、議長はBTのMr.シーモアだった。このAOR会議に参加している人は、多分自分以外は全員この有名な議長を知っていたようだ。席が自由なアドホック会議に参加した。白熱してきたら、ラテン系とゲルマン系の熾烈な論争に発展していた。もうアジア人は傍観するしかなかった(汗)。

ABC順の席順
会議の着席はABC順だ。JapanはJordanの隣だった。Jordanの代表者はなんとなく親戚のおじさんのような感じで違和感がなかった。しかし、IranとIraqは流石に席が離れていた。あるとき、Israelの代表が、「今回は日本からの代表者は出席していないようだが」ああだこうだと会議で話し始めた。ちょっと待った。勇気を出して発言ボタンを押して、「日本からの代表者はここにいる。今の発言は日本とイスラエルのバイラテラルな問題だ。個別に話をしたい。」となんとか英語で話す。その後、イスラエルの代表がああだこうだと言うが、言ってることがさっぱり分からない。紙とペンを渡して、ここに聞きたい内容を書いてくれと依頼し、翌日回答すると約束する。急いで、それに表紙をつけて、日本にFAXして、回答を求めた。翌日は、その内容を英語にしてなんとか納得してくれた。しかし、何が問題で、どう解決したのかさっぱり覚えていない(汗)。

ビニョベルデ
滞在しているホテルのバーを覗いてみた。人懐っこいポルトガル人のバーテンダーが、日本から来たなら、ぜひ「Vinho Verde」を試せと言う。Vinoh(ビニョ)はワイン、Verdeは緑のことだ。つまり緑のワインだ。ポルトガルのワインというとポートワインが有名だが、このVinho Verdeはもっと北部のエリアで収穫されたブドウを使う。しかし、これは品種ではなく、収穫後3-6ヶ月の若いワインだ。スパークリングワインのように少し発砲する。最近のVinho Verdeは、自然発酵ではなく、人工炭酸化なのが残念だが、スッキリとした味わいは新鮮だった。
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 出典:Vinho Verde - Wikipedia

リスボンへの小旅行
AOR会合は土日を挟んでいた。今から考えると夢のような優雅な出張だ。美人の奥様同伴の方々が多く、市内のエクスカーションも用意されていたが、自分は初めてのポルトガルだったので、金曜日の深夜バスを使ってリスボンまで直行した。帰りは日曜日の深夜バスだ。土曜日は現地でホテルを探した。今から考えるとかなりの冒険だったけど、ホテルの案内係に聞くと親切に教えてくれたので敢行した。リスボンの町並みも面白かったけど、夜間バスが時々止まって休憩する場所が、ひなびた場末の街角という感じなのに、皆サッカーが大好きで、トトカルチョに夢中になっていたのが印象的だった。
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 出典:https://pt.wikipedia.org/wiki/Lisboa

まとめ
ポルトガルへの初めての出張のことを思い出していたら、またポルトガルに行きたくなってきた。今ならもっと色々なことがよく見えるような気がする。でも、それよりもフィンランドにももう一度行きたいし、ブリヤート人に会いにロシアにも行きたい。行きたい場所がいっぱいあるけど、時間とお金は有限だ。できれば夏休みにどこかに行きたいなあ。

以上