LuckyOceanのブログ

新米技術士の成長ブログ

子供講座:スマホの仕組み(端末編)

技術の動向概況
1960年台はメインフレーム型のコンピュータが登場した。1970年台になるとより小型のミニコンピュータが注目された。1980年台にはパーソナルコンピュータが登場した。自分が初めて購入したのはAppleのLCIIという廉価版のマックだった(1989年)。そして、1990年台にはインターネット環境が普及し出す。2000年には携帯やスマホからのインターネットアクセスが開始した。そして現在では、LTEWi-Fiによりどこでも通信が可能な状況となっている。

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(出典:スライドシェア、参考1)

かつてのスーパーコンピュータと現在のスマホの性能比較
CRAY-1は、1975年に発表され、1976年に商品化されたかつてのスーパーコンピュータだ(下の図の右)。このかつてのスーパーコンピュータと現在のスマホ(iPhone 8)を比較してみた。重量はなんと約4万分の1に小型化され、さらに価格は約1万分の1と低廉化されている。価格は10年で10分の1のペースだ。同時にプロセッサの性能は約200倍、トランジスターの数は2万倍、メモリー(RAM)の容量は約400万倍。メモリーの容量だけで言えば、40年で約100万倍、つまり、20年で約千倍、2年で倍増というペースで性能が拡大していると言える。f:id:hiroshi-kizaki:20171025230914p:plain

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(参考:Wiki、参考2)

OSの遷移
世界のスマートフォンのOSの勝ち組と負け組はどうなのか?勝組は世界全体の8割を占めるというAndroid OSであり、残り2割がAppleiPhone系だ。2007年には6割を超えていたSymbian OSは2010年を境にAndroid OSに首位の座を受け渡した。

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 (出典:Wiki、参考3)

Android OSの遷移
Googleが2008年9月にスマホのOSを開発した(Android1.0と1.1は非公式)。そして、そのスマホ向けOSを無料で開放すると宣言した時は業界に衝撃が走ったことをよく覚えている。Googleの公式OSはCupCakeの1.5からだ。2016年にはAndroid7.0(Nougut)を発表し、2017年にはAndroid 8.0(Oreo)が発表された。

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(出典:Quala、参考4)

Android OSスマホ(Galaxy)の変遷
Android OSの筆頭をあげればやはりSamsunのGalaxyシリーズではないだろうか。2009年から2017年の8年にかけて画面サイズは3.2インチから6.3インチに倍増。画素数は320x480から2960x1440と約27倍に増加。重量は1.6倍。そして、CPUのチップ速度は約64倍(2の6乗)に増大した。初期のAndroidの品質は正直ひどかった。品質の評価尺度は難しいが、最近のAndroidはかなり安定してきたのではないだろうか。
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iOSスマホ(iPhoneシリーズ)の変遷
スマホの雄はやはりiPhoneだろう。海外では初代iPhoneが2007年に発売され、国内ではiPhone3Gが2008年に発売された。そして初代から10年目の2017年にはiPhone 8/8plusとiPhone X(ten)が発表された。この10年の間に、CPUのクロック速度は22倍、重量は1.3倍、画面サイズは1.6倍、そして画素数は17.8倍に増大した。先のGalaxyに比べると、スペックの数字で見る進化の度合いは緩やかだ。iPhoneはその信頼性やiTuneやiCloudとの連携による使い勝手の良さから特に国内での人気は絶大だ。ただ、個人的には最近のiPhoneApple Watchでは細かなソフトの不具合が気になることが多いのが少し残念だ。今週27日には是非iPhone Xを予約して、来月3日には首尾よくiPhone Xをゲットしたい!!
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電池のコストパフォーマンスの進化の変遷
スマホの課題は電池だ。下の図によると、重量あたりの電池性能(Wh)はほぼ10年で倍に増大している。同時に、電池性能あたりのコスト(US$)は10年で8分の1に減少している。2005年以降の技術革新が進んでいるかどうかは不明だが、電気自動車(EV)向けの電池開発競争が一段と加熱すると予想される。

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(出典:Green Car Report、参考5) 

スマホの薄さの遷移
携帯電話やスマホは薄くなっている。下の図は2000年から2010年にかけてのスマホの厚さの遷移を調べたものだ。加重平均の方が単純平均より若干小さい傾向にあるが、いずれもほぼ10年で4割近く薄くなっている。従来の液晶は硬く、固定の形状だったが、将来は柔らかく可変になるのだろうか。いずれにせよ、より大画面だけど、より薄型を志向するのだろう。もしくは、スマートグラスが普及すれば、スマホの大画面化は沈静化するのだろうか。
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(出典:GSMARENA、参考6)

まとめ
この10年はスマホの進歩のディケイドだった。より大画面だけど、より薄く、より高精細化が進んだ。4K画面に突入するのも時間の問題だろう。今後の10年は過去の10年の延長となるのだろうか。それともスマートグラスやスマートウォッチなどのデバイスと連携しながら進化するのだろうか。また、ここでは触れなかったが通信速度の向上も著しく、それは5Gに向けてさらに加速する。そして、トラヒックボリュームも毎年倍増のペースが今後も継続する。現在のインフラ(=4G)ではスマホは4GかWi-Fiかを切り替えるために不便やストレスを感じることも多い。しかし、今後のインフラ(=5G)になれば、5GとWi-Fiが足し算となるため、最低の速度と接続品質は5Gで担保しつつ、Wi-Fiがあればそこにさらに性能を追加する。そんなインフラを目指している。将来が楽しみだ。

以上

参考1:https://www.slideshare.net/JonCarvinzer/smartphone-component-trends-and-outlook-sept-2013 
参考2:https://en.wikipedia.org/wiki/Cray-1 
参考3:https://ja.wikipedia.org/wiki/スマートフォン
参考4:https://www.quora.com/
参考5:http://www.greencarreports.com/news/
参考6:https://www.gsmarena.com/mobile_phone_evolution-review-493p6.php

子供講座:ケータイの仕組み(交換機編)

交換機とは
通信システムは端末と交換機とそれを結ぶ回線から構成する。ケータイの場合にはその回線が無線だ。今回はそもそも電話の仕組みを発明したグラハムベルと、電話の仕組み、そして交換機の昔と今、そして今後についてまとめてみたい。

アレクサンダー・グラハム・ベル
グラハム・ベルは電話を発明したことで知らる科学者だ。1847年3月3日生まれでだが、電話の実験に成功したのが1876年3月10日29歳の時だ。ベルよりも一回り年長のイライシャ・グレイ(1835年8月2日生まれ)も電話を研究していて特許を申請したが、残念ながら、ベルが2時間先行して特許を申請して認可されていた。
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(出典:Wiki、参考1)

ボストン大学を訪問する二人の日本人
グラハム・ベルは、電話の実験に従事していた当時はボストン大学の音声生理学の教授だった。電気通信技術に精通していたわけでもなかったので、技師のワトソンの協力を得て進めていた。そして、電話の第一声として、「ワトソン君、こちらに来てくれないか」と会話に成功した話は有名だ。そして、当時日露戦争講和に尽力した金子堅太郎と現東京芸術大学の初代学長の伊沢修二ボストン大学を訪問していてこのベルさんが開発した電話で話をしたという。英語だけでなく、日本語でも使えることを確認してベルさんも自信を持ったという(参考2)。

初期の交換機は手動
初期は送話器と受話器を電線で結ぶいわば糸電話のような構成だった。電気信号を増幅する増幅器が発明されて遠方でも電話をすることが可能となった。さらに複数の人と自由に通話をするために考案されたのが交換機だ。各端末は全て一つの装置(手動交換台)に接続し、オペレータが必要な端子と端子を接続することで任意の端末間での通話が可能となった。日本の国内通話の手動交換は1979年に終了したが、その当時の国際通話はまだまだオペレータ全盛時代だった。
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(出典:武蔵野市観光局、参考3)

最初の自動交換機はステップバイステップ方式
初期の電話機は、オペレータを呼び出す仕組みはあるが、ダイヤルもプッシュボタンもない。オペレータがいなくても直接、相手を呼び出せる仕組みが求められ、このために発明されたのが回転ダイヤル式の電話機とステップバイステップ式の交換機だ。例えば、ある交換機に100台の端末が接続しているとした時に、端末34を呼び出したい時には「3」「4」をダイヤルすると、3個のダイヤルパルスと4個のダイヤルパルスが送信される。そのダイヤルパルスを受信した交換機は端末34を呼び出すという仕組みだ。
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(出典:宮崎技術研究所、参考4)

クロスバー式交換機
ステップバイステップ方式の交換機は、ダイヤルパルスを受信しながら接続相手を切り替えていく。次に発明されたのがクロスバー式だ。初めて実用化されたのは1926年でスウェーデンエリクソン製だ。国内では初めて実用化されたのは1955年で群馬の高崎局に米国製が試験導入された。その翌年には国産式が開発され、全国の電話局に順次配備された。自分が誕生した1957年の当時にはまだまだ電話を家に設置している人は少なかった。クロスバーの仕組みは、例えば下の図であれば、入力0と出力3のスイッチをONにすることで、入力0と出力3を接続する。同時に入力1と出力1、入力2と出力0も接続されるという原理だ。

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(出典:EMORY COLLEGE、参考5)

交換機の進化
コンピュータの進化に伴って従来のアナログ方式(ステップバイステップ式やクロスバー式)からデジタル方式に進化する。信号方式も、ダイヤル方式からプッシュボタンによるダイヤルトーン方式に進化し、その後共通線信号方式に進化する。音声はアナログ信号だが、これもPCM技術により64kbpsのデジタル信号に変換される。

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(出典:電話が繋がる仕組み、参考6)

音声のデジタル化の原理
通信の世界で音声は64kbpsのデジタル信号に変換される。これはどういうことかというと、3つのステップがある。まず、最初は標本化。音声信号は300Hzから3400Hzの帯域の信号なので、これの倍の周波数=8kHzでサンプリングする。次は量子化。これは波形の大きさを8bitで示す。このため、8bit x 8kHz => 64kbit/sec(kbps)の信号となる。余談になるが、ISDNではこの64kbpsの信号で伝送したので高品質だった。初期のIP電話ではこれを8kbpsやもっと低速度の信号に変換(圧縮)したので品質が悪かったが、現在のIP電話は64kbpsのまま伝送するので高品質だ。携帯電話の世界では、より高品質なVoLTEも実用化されているが、詳細は別途にする。
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(出典:ネットワークエンジニアとして、参考7)

共通線信号方式
アナログ方式の交換機の時代には、相手の番号はダイヤルパルスやプッシュボタン信号(DTMF=Dial Tone Multi Frequency)を通話回線を通じて送信していた。しかし、電子式交換機が導入されるようになると信号情報のみを専用に伝送する方式、共通線信号方式が採用されるようになった。共通線信号方式は、ITU-Tが1977年にNo.6共通線信号方式として国際標準化された。その後、パケット交換方式の技術を活用し、より高度化したNo.7共通線信号方式が1980年に国際標準化された。

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(出典:国際電話最前線、参考8)

まとめ
グラハム・ベルが電話の仕組みを発明してから140年が経過している。その間、コンピュータの発展に支えられて交換機も伝送路も端末も成長した。そして、固定電話の仕組みをベースに無線通信の技術も加えて携帯電話が実用化される。その仕組みも現在は第四世代が実用化され、さらに2020年には第五世代の商用化を目指している。次回は各世代の仕組みやそれを支える要素技術について説明したい。

以上 

参考1:https://ja.wikipedia.org/wiki/アレクサンダー・グラハム・ベル
参考2:https://plaza.rakuten.co.jp/makiplanning/diary/200803290000/
参考3:http://musashino-kanko.com/area/otakara/ntt_gijyutsu/ 
参考4:http://www.miyazaki-gijutsu.com/series4/densi0823.html 
参考5:http://www.mathcs.emory.edu/~cheung/Courses/355/Syllabus.linux/90-parallel/
参考6:http://www7b.biglobe.ne.jp/~yumaka/think5.html 
参考7:http://www.infraexpert.com/study/telephony2.html 
参考8:http://d.hatena.ne.jp/haijun/20070917/1189956025

日本文化:合掌造りは匠の技の結晶だった

合掌造りとは
合掌造り(がっしょうづくり)とは、Wikiによると、「日本住宅建築様式の一つである。」という。特に、ユネスコ世界遺産にも登録されている白川郷の雪景色に浮かぶ合掌造りは幻想的だ。しかし、残念ながらWikiの合掌造りには英語がない。日本語と韓国と中国語のみでほぼ日本語の翻訳だ。
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(出典:minkawa.carview、参考1)

合掌造りを英語でなんと言う?
ネットで調べると「白川の合掌造りは、江戸時代後期から明治にかけて造られた。」の英語の例文として、「The gassho-zukuri houses in Shirakawa were constructed between the later years of the Edo period into the Meiji period.」と掲載されていた(参考2)。また、研究社の新和英中時点では、合掌造りの家を「a house with a steep rafter roof」と記載されている。Steepとは急峻な屋根の意味だ。もう少し調べると、「thatched roof house」と載っていた。合掌造りを英語で説明するなら、「a steep thatched roof house, named Gassho-zukuri」とでも言うと通じるかも。欧州でも見られるというので、海外での茅葺屋根を調べてみた。
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イギリスでの茅葺屋根
ロンドンから北西に100kmのコテッジの写真だ。オックスフォードとウスターの中間ぐらいの場所にある。一泊、300ポンドほどだ。合掌造りとは言えないかもしれないが、確かに茅葺屋根だ。暖炉のための煙突があるのが欧州風だ。
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(出典:Home Away、参考3)

エストニアの茅葺屋根のお家
この夏にエストニアを訪問した時に、博物館に展示されていた古い民家が日本の古い民家と類似していたのを思い出した。エストニアの茅葺屋根で調べると色々出てきた。詳細の構造までは確認できないが確かに茅葺屋根は日本独自ではなく、広く海外の古い民家でも使われていたようだ。
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(出典:Wiki、参考4)

合掌造りの特徴
白川村役場のホームページに合掌造りの特徴について丁寧に解説をしていた。つまり、「又首構造の切妻屋根」と「屋根の両端が本を開いて立てたように三角形」、そして、「建物は南北に面して建設」というのが特徴のようだ。又首構造の又首は「さす」と呼び、二本の丸太を交差させて、梁の両端に差し込む構造だ。2本の丸太を棟で交差させ、梁の両端に差し込んだ「和風トラス構造」だ。 
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(出典:白川村役場、参考5)

合掌造りの工法
ロカルちゃ富山のホームページにも合掌造りの工法について詳しく説明していた。下の図の①は先に説明した又首構造、②は屋根裏スペースの「アマ」、③は住民の助け合い制度「結(ゆい)」で屋根を6分割して2年に一度葺き替える(図にはない)。④は「ハネガイ」で雪の重さに耐えられるように素材にバネの役割り持たせる。⑤は「チョンナバリ」で、釿(ちょうな)のように柄の先端を曲げることで雪の負荷を分散する。材料には「雪持林(ゆきもちりん)」という雪の圧力で根元が曲がった強い木を使用するという。古代日本の匠の技の結晶とも言える。

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(出典:ロカルちゃ!富山、参考6)

英国の茅葺屋根のお家
ケンブリッジの北16kmにウイリンガム(Willingham)という街があり、そこの木茅葺屋根のお家は結構屋根が立っていた。屋根裏も三角形だが、合掌造りで使われている匠の技が隠されているかどうかは分からない。
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(出典:David Rackham、参考7)

まとめ
11月末に高山を訪問することになった。時間が取れれば白川郷まで足を伸ばして、実際に合掌造りをよく見てみたい。話は少しずれるが、杉原千畝の生誕の地、八百津町にある杉原千畝記念館を訪問したイスラエル人のほぼ100%は高山や白川郷を訪問するという(参考8)。そのために、名古屋、八百津町高山市、白川村、金沢市、そして人道の港敦賀ムゼウムのある敦賀市杉原千畝ルートとした。世界に約1400万人いるというユダヤ人をターゲットにして来日観光客を誘致している。日本人とユダヤ人がお互いの理解を深める機会になって欲しいと思う。
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以上 

参考1:http://minkara.carview.co.jp
参考2:http://ejje.weblio.jp/sentence/content/"合掌造り"
参考3:https://www.homeaway.co.uk/p412435 
参考4:https://en.wikipedia.org/wiki/Estonian_vernacular_architecture 
参考5:http://shirakawa-go.org/kankou/siru/yomu/146/ 
参考6:http://www.info-toyama.com/doc/loculture/vol07/
参考7:http://djrackham-thatching.co.uk/gallery/
参考8:https://clair-inbound.net/chiune/

子供講座:ケータイの仕組み(基地局編)

基地局とは
携帯電話やスマートフォン(以下、「ケータイ」という)から電波が出ていることはよく知られているが、ケータイは誰と通信しているのだろう?例えば誰かと通話をする。誰かにメールを送る。誰かとLINEで繋がる。そんな時には、ケータイは最寄りの基地局を探して通信を行う。

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(出典:日経テクノロジー、参考1)

基地局の種類
基地局は大別すると屋外用と屋内用がある。そして、屋外用には、鉄塔タイプとビル設置タイプ、さらには電柱等への設置タイプがある。屋外の基地局からの電波だけではビル内でケータイへの電波が十分ではない場合には屋内でも利用可能なように対策を設置する。注意深く天井を見ると、下の図の右のような円形のアンテナが一定間隔で配置されていたりする。
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(出典:総務省、参考2)

基地局の性能
鉄塔に設置する基地局を一般にはマクロセルと呼ぶ。第一世代や第二世代では10km以上の半径のエリアをカバーしたが、第三世代や第四世代では1km程度の半径のエリアをカバーしている。そして、利用者が多い場所やビルの影などはマイクロセルと呼ぶ小型の基地局を設置している。例えば渋谷の交差点のように多くの利用者が集まる場所では複数のマイクロセルが重畳的にエリアをカバーしている。さらにエリアを改善するためにピコセルと呼ばれる小型の基地局を導入する。最近では半径500mぐらいのエリアをカバーするようにビルの屋上にアンテナが林立している。屋外局の電波が届かないビル内ではピコセルと呼ばれる屋内用の基地局を設置したり、フェムトセルと呼ばれる超小型の基地局を設置したり、レピータと呼ばれる増幅器でカバーを広げたりしている。
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(出典:日経テクノロジー、参考1)

基地局の進化(その1)=小型化
基地局の進化はケータイの進化そのものである。例えば、第一世代のケータイでは、基地局にはキュービクルと呼ぶ小部屋に通信機器を設置していた。第二世代になるとこのキュービクルは小型化され、第三世代になると前述のようにその容量も20リットル程度の大きさになった。無線設備はどんどん小型化され、最近ではアンテナ内蔵型も出ている。

基地局の進化(その2)=小セル化
基地局の小型と同時に基地局がカバーするエリアも小さくなっている。これを小セル設計と呼ぶ。これにはニーズとシーズの2つの理由がある。まずニーズとしては、利用者数の増加に対応するには、小セル化が有効だ。1つのマクロセルで例えば1000人をカバーしたとする。同じ容量の小セル局を10個配置して1000人に対応すれば、10倍の1万人をカバーできる。次はシーズだが、基地局で用いる周波数だが、これは次項で説明する。
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(出典:ITプロ、参考3)

基地局の進化(その3)=周波数の高周波数化
第一世代から第三世代にはプラチナバンドと呼ばれる800MHzに加えて、1.5GHzや2GHz用いている。そして、第四世代や第五世代では、下の図のように3.6GHzや6GHz、28GHzと言った高い周波数を用いる予定だ。電波伝搬損失は距離の2乗に比例して増大する。したがって、必然的に電波のエリアカバーが小さくなる。そこで期待されているのがビームを絞る方式(=ビームフォーミング)だ。

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(出典:auのHP、参考4)

基地局の進化(その4)=ビームフォーミング
第一世代携帯の基地局は周辺360度に電波を放射していたが、第二世代から第三世代では3セクター方式として、120度ずつをカバーした。第四世代から第五世代にかけてはさらにビームを絞るビームフォーミングが始まっている。「人と話をする時には相手の目を見ながら話を士なさい。」と小学生の時に先生から教わったような気がするが、基地局も第五世代には小学生のレベルになるのかもしれない(笑)。
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(出典:ITメディア、参考5)

まとめ
基地局の役割や進化の方向性をできるだけ平易に説明したつもりだが、伝わっただろうか。子供講座といいながら大人でも難しい内容になってしまった。平易に説明するのは難しい。

以上

参考1:http://techon.nikkeibp.co.jp/article/FEATURE/20130708/291281/?P=2&rt=nocnt
参考2:http://www.tele.soumu.go.jp/resource/j/ele/body/1-01.pdf
参考3:http://itpro.nikkeibp.co.jp/article/COLUMN/20130623/487025/?rt=nocnt
参考4:https://www.au.com/mobile/area/5g/gijyutsu/
参考5:http://www.itmedia.co.jp/smartjapan/articles/1505/20/news069_2.html 

通信事情:エストニアとフィンランドを結ぶフェリーで5Gの実験開始

TALLINKで5Gの実験開始!
エストニアなどバルト三国を旅行したせいか、TALLINKの文字がパッと目に入った。TALLINKとは、エストニアの首都タリンと、フィンランドの首都ヘルシンキを結ぶフェリーの大手企業だ。また、Teliaとはスウェーデンフィンランドで最王手の通信事業者で、エストニアでも携帯電話事業を提供している。このTeliaとTALLINKとエリクソンなどが協力して、フェリーとの第五世代通信(5G)の実験を9月末から開始した。
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(出典:エリクソン資料、参考1)

港とフェリー間を5Gで試験接続
タリンとヘルシンキの間のフェリー内では、フィンランドエストニアの中間地点の一部を除き、Wi-Fiを快適に利用できる。仕組みとしては、港に設置した基地局とフェリーの上部に設置したアンテナ間で5Gの通信を行い、それをWi-Fiの電波として船内をカバーする考えだ。
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(出典:TeliaのHPより、参考2)

5Gを目指す仕様
モバイル通信の世界ではほぼ10年単位で世代交代している。いわゆる第三世代は2000年の実用化を目指し、4Gは2010年、そして、5Gは2020年の実用化を目指している。5Gではデータ通信の体感速度を10倍から100倍に高めるだけではなく、同時接続可能数を10倍から100倍に、データ量を1000倍に高める。同時に接続遅延も短縮し、電池の持ち時間も高める。日本、韓国、中国、欧米が中心に検討を進めている。
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(出典:METIS、参考3)

まとめ
自分の専門分野を優しく説明するのは意外と難しい。ついつい、詳しく、細かく、自分の興味の有る分野に偏りがちだ。今回は、エストニアヘルシンキを結ぶフェリー向けの通信インフラとして5Gの実証実験をするというニュースを紹介してみた。2020年の実用化に向けて各国、各社でトライアルや試験を進めている。

以上

参考1:https://www.ericsson.com/en/news/2017/9/5g-goes-live-in-the-port-of-tallinn 
参考2:https://www.ericsson.com/en/networks/cases/networks-cases/5g-telia-tallink 
参考3:http://blog.goo.ne.jp/imssr_media_2015/e/613da7ebaa98d93fa6db5bb15c2bed9e

子供講座:ケータイの仕組み(端末編)

ケータイの仕組み
ここでは、次の3つについて説明する。
・端末のお話
基地局のお話
・交換機のお話

今回はその第一弾として、端末(特に、ガラケーを想定)について説明する。ガラケーと言われる現在の端末から過去の端末にさかのぼってみたいと思う。スマホについては、「ケータイの仕組み」の後の「スマホの仕組み」で説明する。

「ゲラケー」とは
ガラケーとは、ガラパゴス携帯電話端末の略だ。日本での携帯電話端末は、ガラケースマホ(スマートフォン)とに分類する。下の図のように第二世代のPDC方式はすでに日本では使われていないので、現在ガラケーと呼ばれるのは第三世代方式の通信方式を用いる端末で、かつ日本独自のソフトウェアで動作するものだ。いわゆるおサイフケータイワンセグケータイ、防水ケータイなどは、いわゆるスマートフォンより、早く取り入れられ、すでに完成系の域に達している。微妙なのは、ガラホとかガラスマと呼ばれるものだ。基本ソフト(OS)はAndroidで中身はスマホだが、外見や操作性をガラケーに近づけた「なんちゃってガラケー」だ。月額料金はガラケーと同じ扱いなことが多いため、利用者は意識しないうちにガラケーからガラホに機種変更している可能性がある。

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フィーチャーフォン
一方、海外では、フィーチャフォン(Feature Phone)とスマートフォン(Smart Phone)に分類する。Feature Phoneは基本ソフトがBrewやSybianなどを使っているものが多く日本ではガラケーと呼ぶ端末だ。Blackberyは悩ましい。1999年にカナダのRIM社から独自OSで発売され、QWERYキーボードが付いているのでアルファベット文化を持つ欧米で強く支持されたが、独自OSの限界から2015年にはAndroid版を発売したが、正直通常のスマートフォンに押されて淘汰の危機にある。

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日本のガラケーが急速に進化した本質的な理由
ガラケーがなぜ日本でこれほど急速に進化したのだろうか。ガラケースマホの違いは、誰が仕様を決めたかが根本的な違いだ。スマホは端末メーカーがその仕様を決めたが、ガラケーは携帯電話事業者がその基本的な要求仕様を決めた。このため、日本の携帯電話事業者は、端末の仕様と通信網の仕様とネット(コンテンツ系を含む)の仕様を同時に決めることができた。したがって、ワンセグ機能に対応したり、おさいふケータイ機能に対応したり、動画のストリーミングサービス機能に対応したりすることを機動的にできた。また、電池の持ち時間を長くするために、通信網と端末の細かなパラメータを独自にチューニングして、端末メーカーにその仕様を伝えて開発することができた。これが大きい。

ガラケーの機能拡充の軌跡
1) ストレート型
infobarは2003年に発売し大好評となり、4年後にinfobar2を発売した。その後、Andoid OSに対応してから、C01を2012年、A02を2013年、A03を2015年に発売してスマホの仲間入りをしている。注目すべきかは、それぞれの機種のCPU速度や画面の大きさと高精細度の進化の速度だ。また、スマホではないが、変身型のInfobarのおもちゃが発売されている。将来はロボットに返信するInfobar Androidが発売されるかもしれない(笑)。

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2) タフネスケータイ
防水対応に初めて本格的に対応したのはカシオだ。2000年にC303CAを発売した時はストレート型だった。日立カシオとして2005年のG`zONE Type-Rと2010年のType-Xは折りたたみ式で防水を実現した。さらにNEC日立カシオとして、米ベライゾン向けに2013年にスマホ型のCOMMANDOを発売した。やはり画面、CPUが高度化しているのを見て取れる。

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3) 東芝製のケータイ(au対応)
東芝の第1号機はTu-Ka向けのPDC端末TH341だ。重量やCPUは不明だが、何しろ重かった。横から波打っている形をウェービングフォルムと言って売りにしていた。自分はPHS派だったけど、携帯電話事業部に異動したため初めて購入したのがC5001Tだ。au初のムービ対応だ。でも、画面サイズも小さいし、荒いし、4096色にしか対応していない。gpsOneに対応し、位置情報も利用できた。今の仕様とは比べようもないけど楽しかった。2005年にはA5511Tを発売した。au初のワンセグケータイ対応だ。今回は取り上げていないけど、2006年2月には、日本初のハードディスク(HDD)内蔵ケータイを発売した。HDD内蔵ケータイはその後は聞いたことがない(笑)。そして悲しいが、東芝最後のケータイとなったのがLIGHT POOLと言って折りたたみ式の携帯をたたむと表面が光るというデザインケータイだ。こんな遊び心が満点だったが、東芝は携帯電話事業を富士通に譲渡してしまった。残念だ。

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(今日はこれぐらいで終わります。)

まとめ
端末の事を整理していくと、携帯電話の開発や携帯電話システムの開発の議論をした日々を思い出す。思いは尽きない。ただ、子供講座と言いながら、大人向けの内容になってしまった。反省。。

以上 

 

子供講座:ケータイの仕組み(通信の振り返り)

ケータイの仕組み
先に宣言したように子供講座のシリーズの中で、順次ケータイやスマホSNS、IoTの仕組みを説明していきたい。まずは、ケータイの仕組みだ。

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ここでお話しすること
ケータイがどのような仕組みで機能しているのだろう?ケータイと言うとまず思い浮かぶのが端末だろう。初期の端末からガラケーと呼ばれる端末までの変遷を振り返える。また、ケータイと通信するのが基地局だ。ビルの屋上に立っているものや鉄塔の上に立っているものを見たことがある人もいるだろう。そして、基地局の先にあるのが交換機だ。それがどんなものかを説明していきたい。
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ケータイの前=固定電話
ケータイはそもそも通話をするために開発された。そのため携帯電話と呼ぶ。それまでの電話は固定電話と呼ぶ。固定電話というと、「サザエさん」や「まるこちゃん」のお家で使われる黒電話が昭和の戦後に普及した。岐阜県恵那市明智町にある日本大正村を訪問すると、下の写真のように大正から明治に使われた電話機が展示されている。

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(出典:筆者が2017年7月16日に日本大正村で撮影)

外出先で電話する仕組み=公衆電話
固定電話は、文字どおり、特定の固定した場所で使う。このため、外出先で電話をするときには公衆電話を使っていた。日本では1984年(昭和59年)に約93万台あったが、2015年(平成27年)には約17万台まで減少した。携帯電話の普及に伴い、エストニアなど海外では公衆電話を一層した国もある。

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(出典:2017年7-8月の旅行時の筆者撮影写真より)

公衆電話の前=電報
電話の前は電信だ。今でも、結婚式にはお祝いの電報を送るが、その電報を伝えたのが電信だ。手紙を遠方まで届けるのは大変だけど、電報を使えば瞬時に遠方まで送れるので画期的な発明だった。日本では、1870年1月26日(明治2年12月25日)に東京と横浜の間で電報が開始された。電報の略字(約字)なども定められていた。

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(出典:ヤフオク、資料1)

電報の前=モールス信号
その電信の前はモールス信号だ。「ト(・)」と「ツー( − )」の組み合わせで信号を遠方まで伝えた。遭難信号をSOSという。「・・・ −−− ・・・」(トトトツーツーツートトト)と組み合わせる。つまり、Sは「・・・」と表し、Oは「−−−」で表す。これをモールス符号と呼び、アメリカのサミュエルモールスさんが1837年に発明した。

モールス信号の前=手旗信号
電信が発明される前は手旗信号を使われていた。目視できる範囲で言葉を伝えることができた。1893年に当時の海軍で規定した手旗は元の姿勢と0から14を示す姿勢で数字を示し、その数字を組み合わせることでカナを伝える。たとえば「スキ」と伝えるときには、スは1→2→5の組み合わせ、キは6→2の組み合わせで示すので、次のような手旗の組み合わせとなる(笑)。

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(出典:WIkiの図をもとに筆者が加工した)

手旗信号の前=狼煙
日本でも戦国時代に狼煙(のろし)を使った場面が時代劇などで見れる。日本ではヤマギや藁を燃やしたが、中国では狼の糞などを燃やして色をつけたので狼煙という。平家物語の中で、敵襲でないのに狼煙(当時は「烽火(ほうか)という」を何度もあげて、兵士の士気が低下して平家が滅んだ原因になった(参考2)。

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(出典:ブログのムツゴロウ、参考2)

気をつけるべきこと
通信の手段はこのように狼煙〜手旗〜電信(モールス信号)〜電報〜電話(固定電話、公衆電話)そして携帯電話と進歩した。今では、高精細な写真でも、動画でも簡単にスマホからSNSにアップすることができる。2016年1-3月期で20億ほどの動画が約2億時間分アップされているという(参考3)。写真に至っては、現在までに約3.5兆枚が撮影され、そのうちの10%は最近1年間で撮影された。「Facebookには14oo億枚の写真が投稿された。」と言う(参考4)。生き残る生物は強い生物ではなく、環境の変化に追随する生物だという。情報通信の技術革新に追随することは必要なことだが、同時に環境変化に振り回されることのないように節度を持った使い方が求められる。

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(出典:Gigazine、参考4)

以上

参考1:https://page.auctions.yahoo.co.jp/jp/auction/c625203490
参考2:http://hiroba.main.jp/mutsugoro/2015/11/27/273/
参考3:https://www.lifehacker.jp/2016/05/160521youtube_99.html
参考4:http://gigazine.net/news/20110921_how_many_photos/