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日本史の論点を読んで

はじめに
「教科書に書いてあることを信じない。」はノーベル生理学医学賞を受賞した本庶佑医学博士の言葉だ。本庶さんは不思議だなという心を持つことの大切さを説いている。これは歴史についても当てはまるだろう。

日本史の論点
今回紹介する「日本史の論点」は歴史の通説や教科書に書かれていることが必ずしも真実ではないと、五人の専門家がそれぞれの想いを綴っている。例えば、明治維新に向けて倒幕派も幕府も国力を高める大攘夷を是としている点は一致していて、論点は薩長を中心とする議会制か、幕府を議長とする議会制かの違いだったという。NHK大河ドラマは真実の放映を目指すものではなく、視聴者向けのフィクションと割り切るべきかもしれない。
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縄文時代への新説が欲しかった
まあ、タイトルにも邪馬台国からと書かれているので、期待する方が悪いのだけど、縄文文化についての鋭い切り口も欲しかった。ちなみに卑弥呼がいたのが関西なのか北九州なのかはあまり意味がないという。当時の日本は国として統一されていたわけではなくそれぞれの地域で統治されていた。つまり、北九州を中心とする勢力もあったし、奈良を中心とする勢力もあった。東北にもあったのだろう。卑弥呼がどこにいたのか、もしくはそもそも実在したのかは別にして、多分どちらもあったのだろう。

江戸時代の身分制度
社会の教科書には士農工商という身分制度があったと教科書には書かれていたように思う。本当なのだろうか。ねずさんのひとりごとによると、嘘ではないけど本当ではないという。つまり、中国とかインドでは生まれながらの身分があり、現在でも中国には、農民とか士大夫(したいふ)という身分の意識が残っていて、パスポートにも農民とか書かれているらしい。今度中国人に聞いてみよう。一方、江戸時代の士農工商は、中国から輸入した概念だが、個人ではなく、家の身分だという。従って、士族の家の長男は家督を継いで士族だ。しかし、次男や三男は家督を継がないので商人になったり、農民になったりする。商人でもお金を払えば武士になれる。このように非常に緩い身分制度だったようだ。
 出典:ねずさんのひとりごと 身分制

鎖国時は4口、開国時も4港
鎖国時代には、オランダ以外との交易を禁じて、かつそれも長崎の出島のみに限定したと理解していたが、実際には4つのエリアでの交流が認められていた。長崎と対馬と薩摩と蝦夷の4口だ。長崎口では、オランダ、清朝中国との交易を幕府直轄で行った。対馬口では、李氏朝鮮との交易を対馬藩経由で行った。薩摩口では、琉球王国との交易を薩摩藩経由で行った。蝦夷口では、アイヌとの交易を松前藩経由で行った。開国時には横浜、新潟、神戸、長崎が日米修好通商条約で求めた4港だ。鎖国時の4口から開国時の4港に変遷したのが実態だ。
 出典:Wiki

琉球王国蝦夷地と李氏朝鮮
教科書で4口のことを説明するのだろうか。正確に説明すると色々と深い問題に直面するので、交易は主に長崎のみに限定したと説明するのだろう。江戸時代の初期には李氏朝鮮琉球王国アイヌは国外だった。鎖国制度は一般的に1639(寛永16)年に始まり、1854(嘉永7年)の終わったとされるが、琉球王国は1429年に始まり、1609年に薩摩藩支配下に入り、1879年に琉球藩沖縄県となった。沖縄県になるときには、琉球の王族は、日本の華族として処遇された。これは非常に日本的だと思う。一方、蝦夷地は江戸時代には松前藩となり、1869(明治2)年に新政府は北海道と命名し、北蝦夷地を樺太命名した。李氏朝鮮は、1392年から1910年に朝鮮半島に存続した統一国家だ。領土問題は簡単には解決しない問題の典型なので、これぐらいの説明に留めておきたい。

まとめ
少し話が脱線したが、この新書では、邪馬台国から象徴天皇制まで数多くの新説が書かれている。これらが全て真実とは限らないけど、複数の意見があることを知り、何が本当なのかを自分で納得するまで考えたり、調べたり、興味を持ち続けることが大切だという本庶さんの言葉を思い出させる図書でした。個人的には、教科書よりもWikiの方がフェアだと思う。しかも、日本語のWikiだけではなく、英語とか海外のWikiも合わせて読むと真実が見えてくるのではないでしょうか。皆さんも過去の謎解きをしてみませんか?

以上