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PAY IT FORWARDを見て

はじめに
「Pay it Forward」の日本語の映画名はペイ・フォワードだ。Googleで翻訳すると「あらかじめ支払う」となる。これではドラマにはならない(笑)。かといって恩送りもピンとこないかもしれない。

キャサリン・ライアン・ハイド
1955年生まれの小説家だ。1999年に発表した小説"Pay it forward"はベストセラーになり、2000年には映画化された。日本語版は2002年に角川書店から文庫版で発売されている。
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 出典:https://www.kadokawa.co.jp/product/200201000239/

感動的な映画
年齢を重ねると涙腺が緩くなる。この映画はよく構成されている。原作を読んでないので比較できないが、最初は事件がおきて駆けつけた記者が登場し、それに遡る4ヶ月前の学校の風景が出る。舞台となるのは、社会の授業で、先生から何か世界を変える方法を考えろと課題が出る。それに対する主人公が考えたアイデアが良いことを3つすることだ。
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 出典:https://www.amazon.co.jp/ペイ・フォワード-字幕版

善意の連鎖
誰かが誰かに良いことを3つやる。助けてもらった誰かはまた誰かに良いことを3つやる。ネズミ講は禁止されているが、こんな善意の連鎖は例外だろう。
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 出典:https://ameblo.jp/happysurfgirl/entry-12222303728.html

お裾分け
田舎の文化には「お裾分け」がある。これは期せずして多くの魚が釣れた時とか、農作物が取れた時に近所の人とシェアする。別に代金をもらうわけではない。何かお返しを期待するわけでもない。それでも、お互いにお裾分けするのは、現代のシェアリングビジネスよりも暖かい人間関係を感じる気がする。返信を期待しないと言う意味では、このペイ・フォワードの概念に近いかもしれないと思う。

お金のない時代
現代はお金があれば大抵のものは購入できる。しかし、それで人々は幸せになったのだろうか。例えば、縄文時代にはお金はなかったかもしれない。物物交換をしていたと言われる。しかし、本当にそうだろうか。誰かが狩猟をして、皆でシェアする。農作物を取れれば皆でシェアする。釣った魚の大きさは自慢しても、その価値を測って対価を得るようなケチな考えはなかったのではないか。まさに、ペイフォワードを実践するような社会だったのではないだろうか。調べてみると、次のような記述があった。「阿部芳郎著「縄文の暮らしを掘る」(岩波ジュニア新書)には、互恵性社会を想定していて、単純な交換ではない、別の価値観のなかでの運用があったとしている。」
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 出典:https://www.amazon.co.jp/縄文のくらしを掘る

お互い様の時代
縄文時代の遺跡からは出てこないものがある。それは何かと言えば、武器だ。人と人が争うための武器が出ない。そのような武器が出てくるのは弥生時代からだ。よく縄文時代は農耕をしていないと言う人がいるが、それは正しくないようだ。縄文時代にも農耕をしている。しかし、それは自分たちの集団や家族が食べていくための小規模なものだ。1万年以上にわたって縄文人は平和で暖かな社会を形成してきた。それは現代の日本人のDNAにも色濃く残っているのではないだろうか。
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 出典:https://ddnavi.com/interview/422080/a/

弥生時代に始まった大規模農業
灌漑工事を伴うような大規模農業が始まったのは弥生時代なのだろう。農業用の水を引くような灌漑工事は、エジプトやイランでは紀元前6000年ごろから、インダス文明のエリアでは紀元前3000年ごろから、日本国内では唐津市の菜畑遺跡が約2500〜2600年前(縄文時代後期)の痕跡が残っている。しかし、灌漑工事が本格化するのは弥生時代だ。そして、そのためには工事を指揮する人間と指揮される人間に分かれる。貧富の格差の始まりは、灌漑工事と共に始まったのではないだろうか。
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 出典:https://www.cool-susan.com/2017/01/10/弥生時代/

まとめ
ペイフォーワードは、日本語ではなんと言えばいいのか。個人的には善意の連鎖が一番ぴったりくる。人は助け合って生きてきた生き物だ。特に、災害大国である日本では、地震や雷、洪水、大雨、火事と言ったあらゆる災害が発生する。それら災害に対して、縄文人は協力しながら、助け合いながら命を繋いできたのだと思う。助け合って生き残ることが使命であって、ゼロサムゲームの世界ではなかった。ペイフォーワードの映画の中で主人公に助けられた薬中の浮浪者が、自殺しようとする女性を助けるときに、「Save my life」と告げる。自殺などするなと言うのが普通だが、俺を助けるために生きてくれと告げる。生きる価値があることを告げる。その後の映像はないが、そんな善意の連鎖がつながっていく世界は素晴らしい。そんな理念を20年前に作品として世に問うたキャサリン・ハイドは今の世の中を見てどのように感じているのだろう。世界は少しずつでも良くなっているのだろうか。

以上

最後まで読んでいただきありがとうございました。