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新米技術士の成長ブログ

熱烈中華食堂日高屋の躍進の秘密は謙虚な心

はじめに
今日は小川孔輔教授による「ビジネスイノベータ育成セミナー」に三回目だ。ゲスト講師は株式会社ハイデイ日高の創業者である神田正会長の講演だ。30分ほどのディスカッションの後、53名の学生が7つのグループに分かれてディスカッションした結果を発表した。

本日の課題はP89
ゲスト講師の講演が始まる前に本日の課題が提示された。ビルジョージが書いて、小川教授と林麻矢さんが訳した「True North リーダーたちの羅針盤」の89ページに書かれている演習課題に対するレポートだ。A4の1枚というのが約束だ。
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 出典:amazon

最優秀課題の発表
初回の授業で提示された課題を二回目に提出し、それに対する最優秀作品(Sクラス)が発表された。「昨年度の優秀作品に比べても分析の視点がクリアだった」という。確かにクリアだ。素晴らしい。おめでとう。自分も、もっと頑張らねば。
 出典:http://www.kosuke-ogawa.com/?eid=5123

株式会社ハイデイ日高の創業者神田正会長の講演
今日のゲストの神田会長は昭和16年生まれで79歳だ。2014年9月25日のカンブリア宮殿にも登場されている。ハイデイ日高は、1983年10月22日に設立し、2018年3月から2019年2月の年商は418億円を超えている。経常利益が約47億円。売上高経常利益率は11%を超えている。素晴らしい。

450店舗にするのに40年かかった
首都圏600店舗体制に向けて業容拡大を図っている。この1年での出店数は10店舗で退店が3店舗。2018年8月末の直営店が436店、焼鳥日高が31店舗、中華一番が1店舗、とんかつ日高が1店舗、大衆食堂日高が1店舗だ。
 出典:https://ssl4.eir-parts.net/doc/7611/yuho_pdf/S100H47G/00.pdf

焼き鳥屋は高齢者対策
ハイデイ日高はいろいろな業態にチャレンジしている。鳥の半身揚げの店や武蔵野うどん店もしていたようだが今はない。今、勢いがあるのは熱烈中華食堂日高屋x焼鳥日高屋だ。店長も歳を重ねると中華のフライパンがキツくなる。そんなベテランも焼鳥なら肉体的にも楽だ。そんな神田会長の優しい心遣いがあるとは知らなかった。ネットで見ると、好評だ。入り口は別でも中は一緒とか。面白い。近くにあったらぜひ行きたい。
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 出典:https://dailyportalz.jp/kiji/160526196627

退店したのは50店舗ほど
ハイデイ日高の凄さは退店数の少なさだ。勝負に勝つことも大事だけど負けないことはもっと大事だ。40年かけて500店舗を出店したが、退店したのは50店舗ほどだという。直近の退店は下北沢だがファンから惜しまれていた。小川教授によればこれは驚異的に少ない。マクドナルドや吉野家は30年で2-3割が閉店している。神田会長は謙虚なので、最初は謙遜していたが、その秘密は徹底的なリサーチだ。机上のリサーチはもちろんするが、それよりも現場主義だ。出店を検討するチームは7-8人だが、徹底的にリサーチする。最終判断は神田会長だが、曜日を変えて日に4回は見にいく。二十四時間営業が前提なので、朝の需要、昼の需要、夜の需要、深夜の需要を全て見る。500店舗も観ていると勘が働く。量子コンピュータよりも優秀な神田コンピュータだ。売れそうな店は、そんな匂いまでするという(笑)。
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 出典:https://www.shimokitazawa.info/news/2019/11/hidakaya-close20191130/

将来の展望
カレーやちゃんぽんやパスタなどいろいろな業態へのチャレンジを検討されている。ベトナムへの進出も検討されている。首都圏以外に出店するのか、首都圏で別業態にチャレンジするのか、海外にいくのか経営判断に悩むことは多い。そこで小川教授が学生に示した課題は店舗戦略だ。海外を含めて首都圏以外に挑戦する案と、首都圏で別業態に挑戦する案のどちらかを選び、その内容を発表することになった。

80歳の心境
神田会長は79歳。もうすぐ80歳だ。この日の講演にも電車と徒歩で来られた。タクシーで来ることも可能だし、運転手付きの車を調達しても誰も文句は言わない。でも、神田会長はそんなことにお金を使うなら、パートの時給を一円でも二円でもあげたいと考える。会社を支えるのは、800名強の社員と8000人強のパートの社員だ。社員の頑張りがあるから現在の会社がある。会長の願いは本当に社員の幸福であり、店舗を営業する地域に喜んでもらうことだ。
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 出典:https://business.nikkei.com/atcl/seminar/19nv/00124/00021/

キャディの経験で人を見る目が養われた
神田会長は苦労人だ。昭和16年といえば終戦の年だ。父親は戦争で負傷して帰国し、働くことができない。小さい時には、母親は昼はゴルフ場のキャディをして家計を支えた。夜は子供の服を縫って直し、朝は朝食の用意をしていた。小さい時には、母が寝るのを見たことがないという。幼い弟や妹もいたため、神田会長は、小学生の頃からキャディの仕事もした。来年のオリンピック会場となる川越市にある霞ヶ関カントリー倶楽部だ。当時は米軍人が多かった。ゴルフ場のキャディをすると、朝の8時から9時の間に初対面の人と会うが、五時間も一緒にいると人となりがわかる。一見怖そうな人でも実は優しかったり、逆に優しそうに見えても怒りっぽかったり。キャディをしたおかげで人を見る目ができたという。ハイディ日高では500店舗を開業し、オーナーと契約したが、トラブルになったことがないのが神田会長の自慢だ。

運と成功の図式
社会のため人のために働く人には運が向く。困っていると誰かが助けてくれる。成功の図式は若い時に苦労することだ。神田会長は人の10倍も20倍も苦労した。中学を卒業して住み込みで成増の小さな工場に勤めた。でも辛くてホームシックになり、2週間で逃げた帰った。母親も辛かったのだろう。ほっとした感じで迎えてくれたという。昭和27-28年ごろにホンダ技研がスーパーカブを開発して大ヒットした。その時に正社員で迎えてもらった。やはり見所があったのだろう。母親も大喜びだった。

ホンダ技研での辛い勤務
自分もホンダ技研の鈴鹿工場に1ヶ月バイトしたことがあるが、辛かった。アコードの生産ラインに回されて、流石に溶接はしなかったけど、溶接して団子になった部分をドリルで削る作業だ。周りの人からはこれでも8掛けのスピードと言われるがとてもついていけない。約束の1ヶ月はやり通したが、耳は傷めるし、目はチカチカするし、首まりは火傷だらけ。絶対に製造系の企業には行かないとその時に決めた(涙)。神田会長は10ヶ月頑張ったけどやはり辛いので自宅に帰った時に、母から「お前の人生だから」と言葉をかけてもらえたことを今も忘れないという。ホンダ技研にそのまま勤務していても頭角を現した人材だと思うけど、本人はやめて良かったと笑って話されていた。

飲食店はキャッシュが先
製造業だと先行投資して、製造して、販売しても、手形で支払いを受けるとキャッシュを回収できるまでの運転資金の確保が課題だ。勘定あって金足らずになりがちだ。しかし、飲食業は、逆だという。材料費の支払いは後回しにして、客からはキャッシュで料金を受け取る。キャッシュで困ったことはないという。社員に支払う給料に困ったことはあるけど、日々の売り上げが入るので、資金繰りはOKだったらしい。

屋台はやばい
神田会長が最初にラーメン店に携わったのは、岩槻でラーメン店を開業するので手伝って欲しいと頼まれたからだ。しかし、料理は下手だし、場所も悪い。すぐに倒産した。運よく新宿でやらないかと声がかかり、銀行も100万円貸してくれたが、客が全然来ない。弟に協力を頼んで出前してもらった。市役所にご用聞きして注文が伸びた。川口に店舗を出した時も半年ほどで店がいっぱいになった。毎日睡眠時間は四時間ほどだった。その頃は来来軒だった。蕨店が軌道に乗ってきた頃から多店舗展開を考えた。税理士の指導もあり、始めたのが「経営計画発表会」だったという。
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 出典:日高屋は「来来軒」だった 夜客つかんで埼玉で成長|出世ナビ|NIKKEI STYLE

有言実行
経営計画で発表したことはこれまで全て達成した。4軒目を出店した時に取引先に集まってもらって初めて発表会をした。ほぼ棒読みだった。でも、四回目とか、五回目とかになると従業員の顔色が変わるのがわかったという。母を呼ぶと泣いて喜ばれた。当時は毎晩毎晩寝ると夢を見る。思いが想いが信念が夢となって出てくる。学生に対しては、有言実行を奥さんとやると良いとアドバイスがあった。成功したら海外旅行に行こうとか。

レンガ職人の話
有名なレンガ職人の話をしてもらった。大切なことはビジョンだ。神田会長は多分、この話をいろいろな子供たちにしたのだと思う。養護施設で仕事を探していた子供たち。刑務所から出て保護観察を受けていた子供たち。そんな子供たちにビジョンの大切さを教えて、仕事の楽しさを教えて、そしてその子供たちが今度はハイディ日高を引っ張ってくれたのだと思う。もうダメと思っても何処かに打開策はあるものだと締めくくられた。
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 出典:ビジョンの大きさが仕事の質を左右する。 | 広島の人材開発コンサルタント会社

学生によるグループ発表1:ヘルシー和食
7つのグループに分かれて議論して発表した。自分が所属するFグループは教室に戻ったら即発表だった。シンプルなスライドだけど、母親の愛情を感じるような食材、ヘルシーな食材を展開する店とデリバリーへの挑戦を提案した。同じように和食でおぼんやを提案するグループがあった。小川先生からは、もし、おぼん屋をするなら、その前に京都嵯峨嵐山の「いのうえ」にいくべきと神田会長に提案されていた。しかし、超人気の店なので、1ヶ月前ぐらいに予約しておかないとなかなか入れないらしい。
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 出典:魚がとってもおいしいお店 - いのうえの口コミ - トリップアドバイザー

学生によるグループ発表2:ベトナム料理
首都圏以外に進出すべきという提案はなかった。首都圏で別業態にチャレンジするという提案と、ベトナム系の提案があった。ハイディ日高ではベトナム人も多く働いていることと、ベトナムへの進出を考えているという話があったためだ。ベトナム日高屋を展開するという提案と、逆に日本にベトナム料理を展開するという提案があった。後者は神田会長も盲点だったと感心されていた。ベトナム料理は低カロリーでヘルシーなのでいいかもしれない。ただ、生春巻きは現在のハイディ日高の製造ラインでは厳しいという回答があったが、小川教授から提携先を紹介しましょうかと提案があった。さすがに人脈に広い。広すぎる。
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 出典:https://recipe.rakuten.co.jp/recipe/1210006014/

まとめ
昨日の講義は、ゲストスピーカーの神田会長の温かい人柄にハイディ日高の躍進の秘密を感じた。利益は必要だが利益が目的ではない。日本人の美徳をそこに感じる。どんな事業をするにしても、最後は人だ。そして、その人を束ねるのはやはりビジョンだ。神田会長の熱いビジョンでハイディ日高の社員が奮い立ったのが成長の原動力だと思った。また、耳に痛いことを言ってくれる人が大事だとも話されていた。ハイデイは、「ラーメン食べてハイテンションな一日(デイ)を」という想いと、日高の直訳を逆にした言葉だ。個人的には、最終電車に乗り遅れた時にも暖かく迎えてくれる優しい店というイメージがある。これからも原点を忘れずにさらに発展して欲しいと思いました。

以上

最後まで読んでいただきありがとうございました。