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小川孔輔教授の講義#1を受講して(2/2:ビジネスイノベーター育成セミナー)

hiroshi-kizaki.hatenablog.com
小川教授の講義は面白い。長くなったので、2つに分割しました。これは上のブログに続く後半です。

マクドナルド兄弟
マクドナルドを1940年に創業したのはマクドナルド兄弟だ。それまでのレストランは、ウェイターが注文を取って、運んでくれるが、届くまでに時間がかかるし、注文を忘れられることもある。そんな課題をスピードサービスシステムという画期的な仕組みを考案して解決した。しかし、立ち上がりも順調ではなかった。そもそもファーストフードという文化がない。面食らった客からはクレームの嵐だ。しかし、マクドナルド兄弟が元の店舗に戻そうとしたときに一人の少年がハンバーガーを食べたいと注文にくる。追い返すのも可愛そうなので作ってあげた。子供は喜んだ。そうしているうちに別の客がまた一人。また一人。マクロドナルドの誕生だ。難産の上に誕生したマクドナルドがお客様に、アメリカ市民に受け入れられた瞬間だ。ついうるっときてしまう(笑)。
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 出典:https://ja.wikipedia.org/wiki/マクドナルド#開業

テニスコートでシミュレーション
ファーストフードのコンセプトを実現するためにマクドナルド兄弟が選んだ場所はテニスコートだ。ここに実際の店舗を想定して、肉を焼くところ、パンにピクルスを置くところ、フライドポテトを揚げるところを設定し、アルバイトの人に協力してもらって動線検討を繰り返した。テニスコートトライアンドエラーを六時間繰り返して完成形ができた。世界初のスピードシステムだ。1940年と言えば第二次世界大戦前だ。豊かなアメリカへの高度成長が始まる波にぴったりはまったのだろう。
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 出典:youtube

ハンバーガー帝国のヒミツ
マクドナルド兄弟はカリフォルニアで着実に直営で店舗を広げようとしていた。そして、その仕組みの素晴らしさに着目したのがレイ・クロックだった。その仕組みを真似する人は多かったが成功しなかった。レイ・クロックは、マクドナルドの成功のキーとして、ゴールデンブリッジのトレードマークと、仕組みと、マクドナルドという店舗名の響きに感じていた。なので、模造のサービスを展開するのではなく、フランチャイズ方式を活用したマクドナルドの店舗展開にかけた。最初は定番の資金繰りに苦労したが、人材にも恵まれて、マクドナルドのビジネスを成功させた。

フレッド・ターナ
映画の中でクロックが最初に手がけた店を仕切るフレッド・ターナー夫妻が紹介される。このターナこそが、マクドナルドのQSC(Quality Service Cleanliness)を提唱した人物だ。クロックはターナーを二代目のCEOに任命し、ターナーはその期待に応えて店舗を世界118カ国に展開した。
 出典:https://biz-journal.jp/2017/08/post_20116_3.html

人生は心の持ち方で変えられる
レイ・クロックがマクドナルド兄弟と出会ったのは52歳の頃だ。当時のアメリカなら引退する時期だ。しかし、レイクロックの起業家魂はここから本領を発揮する。信条としたのはエマーソンの言葉だ。起業家にとって大切なことは熱い志と冷静なプランだと別の授業で教わった。レイ・クロックには少なくとも燃えるような熱い志はあった。映画ではこれを根気と訳している。しかし、Persistanceはもっとドロドロとした絶対にあきらめない心、何を捨ててもこのビジネスだけは絶対に手放さないという執着心を感じる。ちなみにエマーソンとは、ラルフ・ウォルドー・エマーソン(1803年5月-1882年4月)のことだ。アメリカの哲学者であり、思想家であり、詩人だ。ハーバード大学を18歳で卒業するという超天才だ。レイ・クロックとエマーソンは対局の人だと思うけど、面白い組み合わせだ。
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 出典:ラルフ・ワルド・エマーソン - Wikipedia

孫正義柳井正も憧れたレイ・クロックの秘密
小川教授の講義の中でも話されたことの中のいくつかは、東洋経済に小川教授が書いた記事の中に見つけることができる。詳しくはこちらもどうぞ。
 出典:孫正義・柳井正も憧れたレイ・クロックの真実 | 映画・音楽 | 東洋経済オンライン | 経済ニュースの新基準

まとめ
小川教授の講義の面白さの少しは伝えることができただろうか。なお、このブログは受講メモではない。講義を受けて感じたことをネットで裏どりしながらまとめたものなので、至らぬ点や間違いがあれば自分のミスだ。面白いとしたら小川教授のおかげだ。来週からの講義が楽しみだ。

以上

最後まで読んでいただきありがとうございました。

追伸)マクドナルドビジネスはドラマの集合体だ。調べるほど面白い。

糟糠(そうこう)の妻
レイ・クロックの妻はジェーン・ドビンズ・グリーンで、糟糠の妻と呼ばれる。糟糠とは米かすのことだ。つまり、辛く貧しい時代を共にした妻なので、出世したからと行って追い出すわけにはいかにないと言われる。また、レイはジェーンと離婚してトロフィーワイフとしてフランチャイズのオーナーの妻だったジョアンと再婚する。動画では、ピアノをレイと楽しそうに連奏している。でも、これにも裏話があって、ジョアンとはジェーンよりも先に知り合い、プロポーズしていたが、ジョアンの両親に断られて、ジェーンと結婚した。しかし、ビジネスに成功すると、ジェーンを離縁して、以前から大好きだったジョアンと結婚した。しかも、いわゆる略奪婚だ。英雄色を好むというが、まさに欲望の塊のような人物だけど、同時に起業家としての才能にあふれていたと言える。
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 出典:YouTube

マクドナルド兄弟のその後
兄のモーリス・マクドナルドは、1971年12月11日に69歳でカリフォルニア州リバーサイドで心臓発作で亡くなった。その13年後の1984年11月30日には、弟のリチャード・マクドナルドは、ニューヨーク市グランドハイアットホテルで、当時のマクドナルドの社長エドレンシによって500億回目のマクドナルドのハンバーガーを提供されている。カリフォルニアで始めたハンバーガーが500億個まで行くとはマクドナルド兄妹もびっくりだし、嬉しかったと思う。
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 出典:https://www.elmundo.es/magazine/2004/244/1085657108.html