LuckyOceanのブログ

新米技術士の成長ブログ

(その6:まとめ)ベーシックインカムを政府発行の仮想通貨として国民に支給したらどうなるのだろう?

はじめに
そもそもこのシリーズを書こうとしたのは日本人の幸福度が、GNPとの相関関係から外れて低いことだ。日本では経済成長重視で頑張ってきたが、それが日本人の幸福感に繋がっていない。なぜなのだろう。UNICEFの調査では、世界の国に比較して、日本人の子供は頭が良い。お行儀も良い。健康な環境で生活している。しかし、寂しいと感じる子供が多く、向上心がない。なぜそんな風になってしまったのだろう。日本人は誠実だし、真面目だし、約束を守り、信頼に足る民族だ。しかし、日本人自身は、自信を失っているように感じる。特に、リーマンショック以降の低成長時代に生まれた子供たちは、バブル時代を経験した人間と異なり、大人しい気がする。このシリーズでベーシックインカムを実現した場合の効果や留意事項を深掘りしてみたが、これで解決するとは思えない。経済的な対処は必要条件だと思うけど、十分条件ではない。やはりもっと精神的な心の解決策が必要な気がする。そんなことを少し整理して考えてみたい。
f:id:hiroshi-kizaki:20181230131212p:plain

1. 日本人の幸福度は上がるのか
(1) 子供たちの心

3年間ほど日本中の学校を訪問して講演をしてきた。その中で感じることは田舎にはまだまだ日本人の良さが残っている。特に三世代の家族体制で、おうちにはおじいちゃんやおばあちゃんがいて、子供の面倒を見てくれる体制のある地域では、子供の表情が明るい。挨拶もしっかりできる。校長先生と保護者の信頼関係もしっかりある。一方、都心の小学校に行くと、先生が疲弊している。例えば、青山とか目黒といった都内でも一等地の公立学校に通うような家族は中級以上だろう。しかし、夫婦ともに仕事を持っていて、子供はお家に帰っても誰もいない。おこずかいはいっぱい貰うが、愛情が不足しているのだろうか。集合時間になっても現れない。挨拶もまともに出来ない。都心の学校が全て悪いわけではない。台東区の小学校では先生と生徒の信頼関係がバッチリできていた。同じ都内でも、家族のしつけや、家族と学校との信頼関係ができているケースとそうでないケースがある。UNICEFの調査はこのシリーズでもリファーしたが、ショッキングだ。しかし、問題はそういうことを日本のマスコミやあまり報道しない点だ。なぜなのだろう。

(2) ワーキングプア
一時期保育所に入れないことが国会でも盛んに議論されていた。亭主の収入だけでは暮らしていけないので、奥様も働く。しかし、子供の面倒を見てくれる人がいない。仕方なく、保育所を探すが入れない。面倒見てくれない。どうすれば良いのか。ワーキングプアともいう。働く女性は、働かない女性よりも貧困だという。日本の社会はシングルマザーに冷たいと思う。下の図は厚労省国民生活基礎調査をもとに金谷さんがブログで掲載したものだが、母子家庭の所得は全世帯平均の4割弱の212万円。高齢者世帯と比べて7割。母子家庭の一人当たりの金額は81万円だ。ベーシックインカムが特に求められているのは、こういった人たちではないかと思う。年収600万円の人にとっての100万円と、年収200万円の人にとっての100万円はもう価値が全然違うだろう。
f:id:hiroshi-kizaki:20181230133629p:plain
 出典:シングルマザーに福祉ではなく労働権を「シングルマザー専用」の職業紹介事業の記事 | 金谷千慧子ブログ-Koechiワールド

(3) 少子化の原因
前述の金谷さんのブログには次のグラフも掲載されていた。子供がいる現役世帯で大人が一人の世帯の貧困率で世界主要国を比較すると、もっとも貧困率が小さいのはデンマークの6.8%だ。ついで、スウェーデンノルウェイフィンランドと北欧諸国が続く。そして、残念ながらもっとも高いのが日本で58.7%だ。デンマークのほぼ10倍だ。こんな環境のもとで子供を産んで育てろと本気でいっているのだろうか。
f:id:hiroshi-kizaki:20181230134436p:plain
 出典:恐ろしい勢いで進む女性の貧困化 | 金谷千慧子ブログ-Koechiワールド

(4) 最貧困女子
日本はかつては1億総中流という言葉が流行するほど、社会の階層がないと言われてきた。しかし、ちょっとショッキングだけど、下の図は日本でも階層社会の実態を示したものだという。それぞれの層の比率が知りたいところだが、高所得層がいて、プチセレブ層がいて、中流層がいて、その下に低所得層がいる。このルポライター鈴木大介氏によると、その低所得層は、マインドヤンキーと呼ばれる比較的自由をエンジョイしている層と、貧困層と最貧困層に分類できるという。最貧困層にいる人の多くは、親からの虐待などの生い立ちを抱え、負のスパイラルから抜け出せないで身も心もボロボロになっている。そして、問題はそういう層の人は行政の支援を拒否する側面があることだ。彼女たち自身が児童養護施設で育っていて、自分の子供を奪われるという心理と、児童養護施設で子供に寂しい思いをさせたくないという気持ちを持っているという。
f:id:hiroshi-kizaki:20181230135609p:plain
 出典:社会が知らない「最貧困女子」の実態

(5) 貧困率と子供の心
ある中学校の校長先生と話をしていた時に、この学校の生徒はまだ恵まれている。以前いた、ある地域の学校はいわゆるシングルマザーが多い地域で、貧困層が多く、学校も荒れていた。不思議なことに、そういう貧困層の家族は、子供に携帯やスマホを使わせるのが早い。しかも、ルールなど決めないので、色々な事件が起きる。保護者を呼んでモラル教室をしても、そこに参加するような保護者には全く問題はない。問題は、そのようなモラル教室に参加しない、もしくは参加できないような保護者だ。

(6) 相対的貧困状態の子供は320万人
日本においては6人に一人の子供は平均所得の半分以下の相対的貧困の中で暮らしているという。特にひとり親世代の貧困率は先にも書いたようにワーストワンだ。下のグラフによると、児童養護施設に在籍している児童は3万人ほど。その約10倍の29万人は生活保護世帯児童だ。しかし、それは見えている部分であって、その水面下には、約 300万人の貧困世帯児童がいるという。このような世帯の子どもたちが、将来への希望を持って、必要な教育を受けたり、愛情を感じる社会にすることこそが日本に求められていることではないかと感じる。負の連鎖を断ち切ることができるのは我々大人であり、日本人の責務ではないだろうか。
f:id:hiroshi-kizaki:20181230141935p:plain
 出典:見えない貧困 | 認定NPO法人エデュケーションエーキューブ - EducationA³

2. 日本人の品性
(1) 品位とはなんだろう。

日本語のWikiで品性を調べると、品位(人品)とでる。品位とは「気高く尊敬を買う人徳と、品格に満ち満ちている様をいう。」とある。しかし、品位のWikiには英語版がない。品位は英語でなんというのだろう。辞書で調べるとDigunityが近いようだ。DigunityをWikiで引いて、その日本語版を見ると、「個人の尊厳」とある。個人の尊厳とは、すべての個人が互いを人間として尊重する法原理をいう。しかし、個人の尊厳は人権であって、品位ではない。

(2) 日本人の品位
少し古いが、2006年にGigazineが調査したところ、日本人が失いつつある品格・道徳観(複数回答可、サンプル数2114)は次のようになった。上位5つは次の通りだ。
・礼儀正しさ:54%
・謙虚さ:47%
・思いやりの気持ち:45%
・恥ずかしいことをしないという考え:45%
・忍耐:40%
f:id:hiroshi-kizaki:20181230143926p:plain
 出典:「日本人の品格・道徳観」に関する調査結果 - GIGAZINE

(3) 心の煩悩
品位や道徳で問題にするのは心だ。法で問題にするのは行動だ。CIAがスパイを採用するときには対象者の欲望を刺激するという。具体的には、金と性と名誉だ。高額な報酬を示す。都心に事務所を開き、ビジネスマンになって美人秘書を雇う。好きなタイプの女性を愛人にする。名誉を与える。名誉職に就かせる。大学の教授にする。そんなオファーを受けられる人はごく一部だが、断ることができるだろうか(笑)。仏教では人間は108の煩悩を持つという。そして、貪(とん)・瞋(じん)・癡(ち)・慢(まん)・疑(ぎ)・悪見(あっけん)の6つを六大煩悩という。日本人が持つ品位とはこのような煩悩に対する先人の知恵ではないかという気がする。
・貪:欲望そのもの
・瞋:怒り
・癡:愚かさ
・慢:自分より優れた人を認めない。
・疑:疑う心
・悪見:間違った考え

(4) 法に触れなければ何をしても良いのか
日本は法治国家だ。放置国家ではない(笑)。日産自動車のゴーン元会長は法に触れたことはしていないと主張している。しかし、日本的な心で経営をしていたのか。稲盛和夫さんの言葉を借りれば「利他の心」を持っていたかといえばノーだろう。煩悩に塗れていたというと言い過ぎだろうか。日本人の倫理観に反する行動だ。そもそも倫理観や道徳観は心の持ち方を規定している。そして、法律は行動を規定している。人のものを欲しいと思っても、実際に行動に移さなければ法には触れない。しかし、そのような卑しい心を持つことは道徳観に反する。日本の企業では相次いで不祥事が発生しているが、そこで求めらえるのは法令遵守に加えて、高い道徳観ではないのだろうか。法律を守っていればなんでもしても良いとはならない。また、特定の職業では高い品位を保つことも法律で定めている。例えば、弁護士法では、第56条で次のように定めている。テレビに出ている弁護士は皆品位を保っているのだろうか(笑)。
(懲戒事由及び懲戒権者)
第五十六条 弁護士及び弁護士法人は、この法律又は所属弁護士会若しくは日本弁護士連合会の会則に違反し、所属弁護士会の秩序又は信用を害し、その他職務の内外を問わずその品位を失うべき非行があつたときは、懲戒を受ける。
2 懲戒は、その弁護士又は弁護士法人の所属弁護士会が、これを行う。
3 弁護士会がその地域内に従たる法律事務所のみを有する弁護士法人に対して行う懲戒の事由は、その地域内にある従たる法律事務所に係るものに限る。

3. 世界に誇る日本を取り戻せるのか
(1) 正しい歴史観

学生時代に社会で日本や世界の歴史を習う。でも、なぜ日本人が日清戦争日露戦争、さらには太平洋戦争を開始したのかという理由や背景を全く理解できなかった。授業も現代は1月とか2月でもうさらっと済ます。教師も説明することから逃げているようなオーラが出ている。質問する気にもなれない。しかし、最近は全てではないが、少しずつ分かってきたような気がする。一番の対立軸はやはり人種差別だったのだと思う。明治維新を余儀なくされた当時の世界は植民地政策が是とした時代だ。当時の大国だった清国はアヘンで欧州列国に搾取され、日本とタイ以外のアジア諸国は植民地とされた。白人から見ると白人以外の人種は人間として扱われなかった。アフリカやアジアの人たちを奴隷にしたのはその典型だ。そんな状況を打破するために、日本が立ち上がったという説がある。本当だろうか。実際、太平洋戦争を契機にアジア諸国は独立を果たした。日本はアジア諸国に軍隊を派遣したが、そこで戦ったのは植民地政策を推し進めていた欧州列国だ。最後に日本は米国にコテンパンにやられたが、もし、アジア諸国の独立が太平洋戦争の目的であったのであれば、その目的を達成したと言える。でも、そんな教育は日本ではご法度だ。

(2) WGIPの狙いと効果
なぜ日本の教育は本当の歴史観を伝えないのだろうか。その原点は、WGIPにあるという。下の写真はWikiに掲載されているWGIPの文書の一部だ。発行が1948年だ。WGPIとは、「War Guilt Information Program」の略だ。日本語ではなんと訳せばいいのだろうか。太平洋戦争終結後、GHQ(連合国軍最高司令官総司令部)の占領政策の一環として行われた「戦争についての罪悪感を日本人の心に植えつけるための宣伝計画」だ。つまり、太平洋戦争は、日本の軍国主義者が悪意を持って実行した戦争であり、その最大の被害者は国民であると洗脳するものだ。太平洋戦争の真意が人種差別との戦いであるなどという大義名分を訴求することは犯罪行為として罰せられる。都合の悪い文書は処分する。東京への無差別爆撃も広島・長崎への原爆投下という非人道的な行為も、軍国主義者が悪かったと国民に刷り込む作戦だという。そして、真面目な日本国民は70年を経過しても、このWGIPの存在すらマスコミは報道せず、学校は教育せず、日本人の自虐的な思考のみが強化されたとしたらそれは悲劇ではないだろうか。
f:id:hiroshi-kizaki:20181230152248p:plain
 出典:https://ja.wikipedia.org/wiki/ウォー・ギルト・インフォメーション・プログラム

(3) 3R5D3S
WGIPの骨子は下の図のように3つのR、5つのD、3つのSだという。WGIPの原文を読んでいないので、本当かどうか疑問だが、次のように5つのDなどは説得力がある。3つのSも今に続いているような気がする。
武装解除(Disarmament)
軍国主義の排除(Demilitalization)
・工業生産力の破壊(Disindustrialization)
・中心勢力の解体(Decentralization)
民主化(Democratization)
f:id:hiroshi-kizaki:20181230153920p:plain

(4) 核家族WGIP
このような洗脳政策は成功したのだろうか。戦後の日本の高度成長を見ると、日本はWGIPの洗脳にかかることなく、頑張って国力を高めたと言えるのだろうか。核家族化が進んだ理由をWGIPに求めるのは無理があるような気がする。しかし、江崎道朗氏によると、GHQは「神道と国家の分離」を命じる神道指令を出し、教科書から神道や神社に関する記述が削除された。確かに学校では神社のことを教わらなかった。また、戦後の住宅政策においても、2DKを基本間取りとした公営アパートが全国で建設されたが、これも日本的な大家族制度を排除し、核家族にするための政策だったという。そこまでは考えすぎではないかと思うけど、現在の日本社会のひずみの一つはこの住居政策に起因している面もあるかもしれない。

(5) 三世代世帯率と出生率
少子高齢化が進み、核家族化が進み、神棚のない家が増え、お墓が崩壊する。そんな社会に明るい未来があるのだろうか。人口は減少していているが世帯数は増えているという。しかし、それは寂しいことではないだろうか。下の図は0歳から4歳の子供のうち3世代世帯にいる割合と合計特殊出生率の分布図だ。ばらつきが多いが緩やかな相関関係があると言う感じだろうか。特徴的なのは沖縄と東京と山形だ。
・沖縄は3世代世帯が低いが出生率が高い。沖縄では二十歳の頃に子供を産んで、おばあさんが育てる。そして、子供がハタチになり子供を産むと、今度は仕事を辞めて孫を育てる。そんなシステムが機能している。なので、40歳で孫、60歳でひ孫がいるのは沖縄では目ずれしくない。良い悪いは別にしてこれは文化だろう。
・東京:3世代世帯に比率も出生率も低い。大阪や京都なども同様の傾向だ。大都市の傾向と言える。
・山形:3世代世帯の比率は高いが出生率はそれほど高くない。単に3世代を増やすだけではダメということか。
f:id:hiroshi-kizaki:20181230160004p:plain
 出典:三世代同居促進政策は有効か――データから見えてくること / 筒井淳也 / 計量社会学 | SYNODOS -シノドス-

(6) 1000年の歴史を持つ実語教の見直し
このブログでは、何度も実語教を取り上げている。しかし、一般には知られていないのではないだろうか。実語教とは、千年にわたって日本人の精神を育んできた教科書だ。戦前以前の日本人は寺子屋等で、人間としていかに生きるのか、人間とはどうあるべきかを教わってきた。しかも、その方法が素晴らしい。まず今でいう小学生の1−2年の時期に暗唱する。子供の記憶力は素晴らしい。意味は理解できなくもすぐに暗唱できる。そして、3-4年の時期には写経する。小学校に行くと子供達が筆で書いた標語などが掲載されていて、その上手さにびっくりする。自分よりは確実に上手だ。しかし、多分、昔の小学生はもっと上手だったのだろう。そして、高学年になる頃には、その意味をしっかりと理解して、実践するようになる。現在の日本の教育にもぜひ取り入れて欲しいと思う。しかし、ある学校の校長先生とそのような話をすると、実語教は素晴らしい。でも、教育勅語に対する教育委員会やマスコミの過激な反応を考えると、とても言い出せないと言われていたのが印象的だ。まだまだ時間がかかるのだろうか。
f:id:hiroshi-kizaki:20181230160844p:plain
 出典:千年にわたって、日本人の精神をつくってきた教科書を知っていますか? | 日本の歴史から学ぶ、日本人の精神性

まとめ
このシリーズのまとめのまとめだ。日本人が日本人としての誇りを取り戻し、日本人としての教えを守ることが日本人の幸福度を高めることになるのではないだろうか。世の中には、目まぐるしく変化することと、長い年月をかけて変化するものがある。インターネットやAIなどは前者の典型だろう。しかし、そのような激変する社会で生き残るには、後者の知恵が重要だ。幸い日本には歴史がある。先年も続く教科書(=実語教)を持つ国は日本人とユダヤ人ぐらいだろう。昭和15年には日本は皇紀2600年を祝った。皇紀元年とは神武天皇即位の年を元年とする暦である。世界には、救世主(キリスト)の生誕のよく年を元年とする西暦、イスラムでは開祖ムハンマドが故郷メディナに脱出した年を起源とするヘディナ紀元、釈迦が入滅した年もしくはよく年を起源とする仏歴がある。日本の後期はそれらよりも古いのはすごいことだ。世界最古の皇紀を持つ日本を日本人としてもっと誇りを持って生きていくべきではないか。WGIPの呪縛から解放されても良いのではないか。人として良く生きる方法は万国共通かもしれない。その意味では実語教のような教育をアジアや開発途上国で広めることも意義があることかもしれない。

以上

最後まで読んでいただきありがとうござます。ブログを始めて、いろいろなことを調べるたびに自らの無知を思い知る。技術士の勉強もそうだったけど、勉強するほどに知らないことが出てくる。学ぶとは、知らないことを知ることだ。ソクラテスが言ったという「無知の知」を痛感する。ソクラテスはそれ以外にも、「満足は富」とも言っている。一見、矛盾しているが、この意味は、ささやかなことに満足するところに幸福があるということだ。「満足は、自然の与える富である。贅沢は、人間の与える貧困である。」とも言っている。結局のところ謙虚な気持ちで、他人への感謝の気持ちや思いやりの気持ちを忘れずに、切磋琢磨することが大切なのかもしれない。日本人の心を取り戻すことは重要だけど、幸福度を高めることを追い求めるのではなく、自らの能力を高め、社会に貢献することに幸せを感じることが大切なのかもしれない。しかし、これではMBAの卒論にはならない(涙)。そちらの方はもう少し考えよう。今年もあとわずかだ。皆様のご多幸を心よりお祈り申し上げます。