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1867年の大政奉還の遠因は1857年の米国金融恐慌か

ペリー来航165年
米国海軍東インド艦隊の提督のペリーが鎖国時代の日本にやってきたのが1853年なので、約165年前のことになる。工学系なので歴史の勉強を疎かにしていたが、大人になってから色々な書物を読むと興味がどんどん湧いてくる。最近、読んだのは下のペーリ提督日本遠征記(上下版)だ。図書で買うと置き場所に困るが、Kindle版が出ていたので、購入した。上下それぞれ578円だった。さっきAmazonのサイトを見たら上下合体版が1038円で売っていて、ちょっと後悔した。今後、購入する人はこの上下合体版がお得だろう。内容が非常に充実した一次資料をこんな廉価な値段で手元におけるとは良い時代になったものだ。

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(出典:Amazon
8つな疑問点
幕末のことはロマンに満ちている。鎖国時代から黒船来航、大政奉還と本当に激動の時代だ。そんな時代をこじ開けたマシュー・ペリーが残した日本遠征記を読んでいるといろんな疑問を感じる。そして調べると今まで知らなかったことや誤解していたことが色々とあることに気づく。その中から8つをピックアップして解説したい。ただし、これは単に自分が知らなかったことであり、読者の皆様はとっくの昔に知っていることばかりかもしれない。その場合はご容赦願いたい。

1) 幕末の両替による金の大量流出
明治維新南北戦争に関係があるとは学校の教科書からは読み取れなかった。でも、調べるとアメリカの歴史と日本の歴史は密接にリンクしていた。当然だろう。その中でも特にショックだったのは、幕末の金の大量流出だ。当時の江戸で流通していた1分銀の銀保有量はドル銀の銀保有量の3分の1だった。ハリスは同種・同量交換を要求し、紛糾したが、最終的に合意された。したがって、メキシコドル4枚を1分銀12枚に交換し、これを小判3枚に両替する。この金貨を香港に持っていくと、メキシコ銀12枚に交換できた。よって、江戸と香港を往復することで巨額の富を得られる。 当時の日本は、世界の金の3分の1に相当する金を保有していた。どの程度大量流出かは諸説あるようだ。

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(出典:wiki、参考1)

2) 江戸の物価の急騰
この結果、当時の江戸の両替所から金がなくなる事態となり、江戸の市場は大混乱した。下の表は、当時の江戸の諸物価の対前年上昇率だ。1858年には米が31%秩父絹が56%も急騰した。そのあと沈静化したが、1865年には米が72%も急騰した。これの原因は、先の両替による金の大量流出が契機だという。
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(出典:貨幣の歴史学、参考2)

3) 当時の江戸幕府はなぜ不利な条約に合意したのか
当時の江戸幕府は、通貨を海外に持ち出すことを禁止していた。また、金と銀の交換の交渉も難航した。しかし、ハリスは清国と戦争中のイギリスやフランスが日本を侵略するのを防ぐには日本と米国でアヘンの輸入を禁止する通商条約を締結するほかないと幕府を押し切った。その結果、日米修好通商条約の第5条において、「外国通貨日本通貨は同種・同量で通用する。すなわち、金は金と、銀は銀と交換できる。取引は日本通貨外国通貨どちらでも行うことができる。日本人が外国通貨になれていないため、開港後1年の間は原則として日本の通貨で取引を行う。日本貨幣は銅銭を除き輸出することができる。外国の通貨も輸出可能である。」を認めてしまい、その結果前述の金の大量流出が起きた。そして経済が大混乱し、幕府への信用が崩壊したという。
(出典:ねずさんのふたりごと、参考3)

4) 南北戦争と金の大量流出
次の年表を見ると、米国が新興国として勢力を高め、1853年に金本位制を確立する。そして、同じ年にペリーが来航し、1958年には貨幣の同種・同量交換を迫り、1959年に金貨の大量流出が起きる。そして、1961年に始まった南北戦争はわずか4年で北軍の勝利となった。当時の米国は綿花を栽培する南部が圧倒的に経済を支配していた。そして南部には人口の3分の1に相当する黒人奴隷がいた。一方、北部は工業化を急いでいたが、1857年には大恐慌が発生し、経済力は大混乱していた。経済の安定している南部は独立して連合国を形成し、北部はそれを阻止しようとする。そんな苦境の中で北部がなぜ勝利できたのだろう。一説には、その軍資金は日本から流出した大量の金だという。本当なのだろうか。
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(出典:貨幣の歴史学、参考2)

5)セントラルアメリカ号の沈没と世界規模の大恐慌(1857年)
ペリーが来航した1853年の4年後の1857年9月にニューヨーク銀行の金塊約10トンを載せたセントラルアメリカ号が沈没した。原因は、ノースキャロライナ州周辺で発生したハリケーンだ。そして、これをきっかけに米国通貨の金本位制が崩壊し、初めての世界規模の経済恐慌が同年(1857年)に発生した。そしてその翌年の1858年に同種・同量交換を江戸幕府にハリスが強硬に主張し、1859年に日本からの金の大量流出が発生する。そして、この金融恐慌は同年(1859年)までに収斂した。どうも一連の出来事が繋がっているのではないかと思うのは私だけだろうか。なお、多大な財宝を載せたまま海中に沈んでいたセントラルアメリカ号は1988年に発見された。発掘グループがベイズ主義理論に基づいた統計学と遠隔操作技術を駆使して特定したという。しかし、その発掘費用は金銀の価値よりも高いという(涙)。
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(出典:トカナ、参考6)

6) 南北戦争(1861-1865)と戊辰戦争(1868-1869)
戊辰戦争は、明治政府を樹立した薩摩藩長州藩土佐藩を中核中核とした新政府軍と、現在の東北と新潟を拠点にする、奥州、羽州越州で構成される奥羽越列藩同盟である旧幕府軍の内戦だ。旧幕府軍は、東日本として独立することが同盟の目的だったとあり、最悪は日本が東西に分裂していたリスクもある。なぜそんな内紛が起きたのだろう。気になるのは、新政府軍も旧幕府軍南北戦争で使われた「ガトリング機関銃」等の最新兵器を使用していたことだ。つまり、南北戦争で不要となった最新兵器を当時の北部が南部からキャッシュで買取った。そして、日本に対しては直接販売するのではなく、清国と戦っていたイギリスとフランスに売却する。そして、イギリス勢は新政府軍、フランス勢は旧幕府軍にすり寄った。フランス勢は、旧幕府軍に兵器を売りつけるだけでなく、フランス軍事顧問軍は会津戦争・北海道箱館戦争まで一緒に戦ったという。しかも、江戸時代までの日本では武士が戦っていたが、この戊辰戦争では市民も巻き込み、新政府軍3,550人、旧幕府軍4,690人が亡くなるという悲惨な戦いだった。残念ながら戦争をすると儲ける人がいることを理解して、愚かなことを繰り返さないと反省することが必要ではないだろうか。f:id:hiroshi-kizaki:20171229145206p:plain
(出典:ねずさんのふたりごと、参考3)

7) 南北戦争の目的
南北戦争は、黒人の奴隷解放の為に北部が立ち上がったように思っていた。調べるとそんな単純な構造ではなかった。つまり、南軍の目的は綿花産業による経済と奴隷制度を維持する為に連合国としての独立を維持することであり、北軍の目的は連合国を合衆国に戻すことだった。その意味では内紛ではない。共和党エイブラハム・リンカーンは、奴隷制の拡大に反対していたが奴隷制の廃止を宣言して選挙を戦ったわけではない。なぜなら北部には奴隷制の維持を主張する州もあったためだ。なお、奴隷解放は、奴隷の売買を禁止するものであって、黒人に人権が与えられるのは1962年南北戦争の100年後だった。
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(出典:Wiki、参考5)

8) 年季奉公とからゆきさん
米国で奴隷制度が始まる前には4年から7年の年季奉公という契約に基づく黒人の労働力活用が広がり、そのあと、1662年までには奴隷制度が法整備されたという。そして17世紀から19世紀にかけて1200万人の黒人が米国に渡り、1860年の米国の国勢調査では上の表のように約400万人の奴隷がいた。日本でも年季奉公では悲しい歴史がある。いわゆるからゆきさんだ。明治時代に、人身売買禁止法が制定されたが、そのあとも、女衒(ぜげん)による売買が続行したという。1925年(大正15年)には、国際連盟の「婦人及児童ノ売買ニ関スル国際条約」を批准し、1959( 昭和34年)に「売春防止法」が施行されて、女衒も自然消滅したようだ。下の図は、「からゆきさんの小部屋」に掲載されているからゆきさんの世界の分布図だという。その数は20万人とも30万人とも言われている。多くは消息も不明なままだが、この分布に重なるように日本人墓地があるという。女衒は渡航費用として当時の金で500円(現在では500万円ほど)を借金とし、それを返済させるために働かせた。そんな悲劇が日本でも起きていたことを忘れてはいけない。ねずさんのふたりごとでは、火薬の1樽と女性50人を交換した時代もあったという(参考8)。本当なのだろうか。f:id:hiroshi-kizaki:20171229161649p:plain
(出典:からゆきさんの小部屋、参考7)

まとめ
今回はペリー提督の日本遠征記を読んで、気になることを調べて、びっくりしたことをまとめてみた。日本遠征記もまだ全部は読んでいないが、日本の歴史観や宗教観、文化などが淡々とかかれていて大変勉強になる。歴史を勉強する目的は、その歴史が生じた原因を調べ、同じ過ちを回避することだと思う。北朝鮮の動きがきな臭いが、その裏で誰かがシナリオを書いていないだろうか。世情の表面だけではなく、人間の心理や行動の必然性まで落とし込んで理解しないと真実を見ることはできない。日本史も世界史も得意ではなかったが、人類の行動パターンを分析し、その心理や背景・原因を追求し、対策を講じるというのは、最近の日本企業の不祥事の再発防止にもつながる観点だと思う。表面的な犯人を見つけて社会的に処罰するのではなく、社会の構造的な問題を理解して、それを是正することにつなげることが重要だと思う。それにしても、戊辰戦争で日本を東西に分割するのではなく、単一国家としてサバイバルした先人の知恵と勇気と行動力に敬意を表したい。また、米国の金塊を載せたセントラルアメリカ号が沈没しなければ、1857年の恐慌も起きず、日本からの金の流出もなく、日本の鎖国はもう少し続くか、ソフトランディングでの開国に成功していたのかもしれない。歴史のミステリーは面白い。

以上

最後まで読んで頂きありがとうございました。

参考1:https://ja.wikipedia.org/wiki/幕末の通貨問題 
参考2:https://www.boj.or.jp/announcements/koho_nichigin/backnumber/data/nichigin18-7.pdf
参考3:https://ameblo.jp/2828waka/entry-11666657585.html
参考4:https://ja.wikipedia.org/wiki/戊辰戦争
参考5:https://ja.wikipedia.org/wiki/南北戦争
参考6:http://tocana.jp/2015/03/post_6002_entry.html 
参考7:http://www.karayukisan.jp/index.html 

参考8:南蛮貿易と日本人奴隷 〜日本人女性50人で火薬1樽〜【CGS ねずさん ...